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95.停電07/05/21

 先日、停電にあった。時々、何なのかよく分からないのだが、メキシコは停電になる。 雨季の雨の時の停電もよくあるのだが、それは、雨の停電と分かる。
大概は、しばらくして、電気がくるから、まだ、我慢できる。 だが、先日の停電は、まる24時間以上の停電で、参った。

 一人、例のごとくインターネットで遊んでいたのだが、突然ブッスンと停電。停電はよくある事なので、またか? とその間家事に専念する事にした。

料理もして、掃除も終わった、それでも、電気は来ない。
仕方ない、前々からしよう、しようと思ってやってない草刈。
庭の芝生が雨季になってすくすく伸びて、(すくすくってうれしい成長するときに使うものだが、まあいいや。)
この青草、牛でもウサギでも食べてくれる動物がいたら、もっと、仕事する張り合いというものが出るんだろうが、ゴミになるだけ。
まあ、ぶつぶつ言ってても仕方ない。なんせ、インターネットができないんだから。。。。

まあ、この芝生は短くしないと、我が家の犬どもが、庭に糞をするのだが、草に隠れて見えなくって、 糞取りも、糞探しからしなくてはいけないから、結構大変なんだ。

やっぱり、仕方ない、やろうってんで、始めた。
畑仕事は、実家の畑仕事で慣れてるはずだから、さっさとできるだろうって思ってたけど、根気の仕事で、最近してないから、すぐ嫌になる。
お茶飲んで、もう、電気きてるかな? 来ませんねえ。

停電ってうちだけかしら?気になるお隣さん。
でも、昼間だから、電気来てるのかどうか分からない。

川向こうの落下傘部隊(不法侵入なる)の家の電気は、夜昼関係なく、いつも点いてる。
なんせ、電気代払うんじゃあなくって、電気盗んでんだから、お気楽さ。
「電気盗んでるんだから、少しは遠慮しろ!」と言いたくなるが。。。
「土地は盗むは電気は盗むはでしょうが。。。貧乏人はそれしか生きる道がないって? それでも、遠慮しろ!あんたが電気無駄にしているから、地球が駄目になるって!」
これは、電気がなくって、八つ当たりしているおばちゃんの腹の声

隣は、横、前、その向こうのベシンダーというお隣ご近所さん。

仕方ないから、また、お茶した後また、草刈だ。昼ごはんも食べて、また草刈。
そうして、仕事ははかどって、草刈終えた。嬉しいのやら、電気来ないのが悔しいやら。

旦那が帰って来たから、「何とかしてよ。どうなってんだよ。」文句タラタラ。
旦那、調べて、´ 「何処も悪そうじゃあないから、うちの所為じゃあないけど、もしかしたら、電気切られたかな?」
「えっ?!電気代、滞納! 」

(そう、メキシコの電気会社は、電気盗まれているのは、対処しないくせに、電気代、なけなしの金で払ってる者からは、ちょっと、電気代払うのが遅くなると さっと、電気を切るのだ!! 実に、涙もお情けもありゃあしないのだ。)

「銀行引き落としにしてあるけど、この前、残金なくなっちゃてたから、その時、引き落としきたら、払ってないかも?」
「えっ、そんな!警告電話くれてからでも、いいじゃん! 電話会社は、録音の警告電話よこすじゃん。」
「それは、そうだけど、電気会社だから、電話するの面倒がってだろ、電気切るので警告してんだよ。それが、手っ取り早い。」
 娘「電話なくっても、我慢できるけど、携帯もあるし、電気は困るよね。ところで、冷凍庫のもの大丈夫なの? なんか知らないけど、いっぱい入ってんじゃん。」

暗くなってきて、お隣さん、電気点いてるか?
一軒のお隣さんを除いて、みんな、点いてる!
点いてないお隣さんは、留守なのかも?
ショック!やっぱり、電気代未払いで、電気切られたんだ!

で、もう、夜だし、どうしょうもないから、寝るしかないってんで、早い夕飯食べて、寝る寝る。
いつも、メキシコはいつ停電になるかわからないので、ろうそくは、常備品。
ろうそく点けても、気分はロマンチックにならない。

そして、その晩見た夢は、電気が点いた! 嬉しいな!って夢。
夢から覚めてみると、まだ、暗闇。
仕方ないから、また、寝る。
そして、また夢 電気点いたよ!アーよかった!
夢から覚めてみると、まだ、暗闇。
なんじゃ、なんじゃと繰り返しているうちに、娘がやって来て、「もう、早く寝過ぎたから、眠れないよう。」
でも、寝ることの他になにができる、この闇。
娘「夢みたよ。電気来たっていう。」
夢のない夢ばかり見て! どうしょうもないね。親子して。
それでも、電気来たは夢で、現実ではない。

次の日、私は医者に行く予定が入っていたから、安い病院に行くには、朝から、順番取りしにいかなくちゃあだから、 暗闇の中、起きて、ろうそくの光で支度して、でも、面倒だから、朝食なしで出かける事にした。

家をでたら、隣の奥さんに会った。
「電気ないでしょ?うちとあなたの所だけだよ。昼間はこのご近所みんな停電だったけど、夕方には、皆来たんだって。」 との事。

それで、うちに戻って、旦那に電話。旦那は夜、姑の介護当番に当たっていて、姑の家に行ってたのだ。
「早く帰ってきて、電気会社に、文句言ってね 冷凍庫の食料も皆駄目になちゃうから。」と。

そして、病院の待ち時間の間に何度か自宅に電話して、やっと何度目かの電話の時、
娘「電気きたよ、よかったね。インターネットできるようになって。」

私は冷蔵庫や冷凍庫の食べ物心配してたのです!って。
電気ないって、ホントに、今の時代、大変なんですよね。

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96.接触事故の解決方法07/05/25

 メキシコシティーに来た事がある人は、きっと思うであろう。いかに車が多いかと。
実に、メキシコの街を走る車の数は、すごいのだ。その車の洪水の中を車でいかに泳ぐか?

観光のお客さんにもよく言われる。
「よく、これだけの車が走っていて、しかも、乱暴で、規則無視の車がほとんどで、事故がないのですか?」
そう、日本から来た人で、車を運転している人から、見たら、メキシコの車はめちゃくちゃ走っている!である。

道を曲がろうとする車でも、ウインカーを出そうとしないやつがほとんど。
(左折する車は、左手を上げるやつが多い、なんのためのウインカーだ?)
しかも、道路の最左にいったって、平気で、右折しようと突っ込んでくる。
俺は右折するんだ!お前、そこどけ!そこどけ!俺様が通るぞ!

信号のない四つ角では、突っ込む勇気のあるものが先だ。
どんどん突っ込め!突っ込め!俺が先だ!である。

どんな所であろうと、車が渋滞していようが、自分が車を止めたい所で、車を平気で止める。
人の迷惑なんって、我、関せず!この道は、俺様の道だ。文句あるかよー

あー、挙げていったらきりがありませんねえ。

事故がないか?って。
まあ、メキシコは、メキシコ方式の運転方式であるが、その乱暴さに比較すると事故が少ないのかも?
いやいや、小さな接触事故くらいでは、ガタガタしないって事か?

昔、私も車を運転していた時、ありました。
前の車にガチャン!
「しまった!やっちゃった!どうしよう!?」
そしたら、前の車の人、大通りの真ん中の場所で、
(ここで道の端に車を寄せて、後から来る車の迷惑を考えるという人はあまりいない。)
車を止め、降りてきて、自分の車の後ろにまわり、車をチェック。
そして、手を上げ「大丈夫!大丈夫! No pasa nada!(なんともない!)」
ふー助かった!

 メキシコでは、車のバンバがちょっとくらい、凹むは、気にしません。
バンバというのは、車本体を守るためのもので、ちょっと位、ぶつけてもそれは、当たり前。
だいたい、メキシコの人は、車の車体の長さくらいしかない空間によく車を駐車させるが、この方法は、 前後に駐車している車のバンバに ガチャン ガチャンと、何度もぶつけ、ぶつけ、できる技であるのだ。

まあ、傷がほどんどない小さな接触事故くらいだったら、まあ、まあ、お互い、仕方なかったねえ。で済まされるが、 やっぱり、金のかかる傷は、はい、そうですか?とは行かない。

昨日もそれを見ました。
メキシコの街を我が物顔に、一番いばって走っているのが、ぺセロという個人経営バス。
私は、車を運転しないから、出かけるとなると、これをを利用せざるをえないのだが、やつらの運転は、マナー最悪ナンバーワンなのである。
なんせ、一人でも多くの客を拾い、より収益を上げるが、彼らのモットーであるから、人様の迷惑はあまり考えない。

もし、このバスに乗るような事があった場合は、しっかり、掴まって、怪我のないようにね。
私も、あまりにもひどい運転のぺセロに当たった時は、3ペソほどのお金を溝に捨てたと思って、ぺセロを乗り換える。

乗った時から、この運転手、乱暴だな。と思ったが、そう、朝のラッシュ時間で、車が、混んでいたが、先に先にと、走りたがる運転手
ガチャン、やりましたね。個人の車に。
ぺセロの運ちゃん、「No pasa nada!(なんともない!)」と、しきりに叫んでいましたが、ぶつけられた車の人、四つ角のど真ん中で、車を降りてきて、文句を言い始めました。
ぺセロの運ちゃん、「No pasa nada!」「No pasa nada!」を連発。

さすがに、ぶつかられた人、この車のラッシュの四つ角のど真ん中では、と思ったらしく、車を先へ進めて、また、降りて、ぺセロに乗り込んできて、文句を言う。
ぺセロの運ちゃん、「今、払う金ないから、後で払うよ」とか言い訳言うが、ぶつけられた車の人、ここで逃しては、取りぱぐれるのが、分かってる。さすが。

ぺセロの運ちゃん、相手を無視して、車を走らせようとする。
車の人、さっと車に戻って、車をぺセロの前に出して、ぺセロが、右から逃げようとすれば、右へ、左から逃げようとすれば、左にと、ぺセロの行く手を阻んで逃すまい。
「あー、こんなのにつきあわされちゃあ、たまらないよー。時間に間に合わないよう。」
私は、ぺセロを降りて、別のぺセロに乗る事にした。
事故ったぺセロの運ちゃん、さすが諦め、他のぺセロの運ちゃんに頼んで、うちの乗客を乗っけてやってくれ。

兎に角、事故して、自分が被害者だったら、相手をとっ捕まえて、取れるものを取らなくっては、なんですよ。メキシコは。
警察なんて介入しません。いや、介入させたら、ろくな事にならない。

自分が加害者だったら、兎に角、逃げろ!逃げろ!のなんと多い事か、逃げるが勝ち!なんだよ。兎に角。

うちの旦那も、何度もありましたねえ。

一度は、ぶつけられて。
相手は、若い金持ちの娘。ローマス デ チャプルテペックというメキシコ最高の高級住宅に住む。
旦那は自分は悪くないが、自分の保険会社に電話したと。
保険会社の人が来て、これは相手が悪いから、相手から、支払ってもらうように、うちの保険会社で払う必要はない。と。
金持ちの娘さん、「パパに話すから。」
金持ちのパパさんが来て、ちかくの自宅に、保険会社の人に来てくれと自宅に保険会社の人を連れて行った。
外で待たされた旦那。
そして、保険会社の人、手に酒ビンが何本も入った箱を両手に抱えて、豪邸から出てきて、言いましたと。
「修理費は、保険会社で払います。」
そして、一本だけ酒のビンを旦那にくれたと。
なんじゃなんじゃですねえ。
まあ、保険会社の人は会社がお金を払う訳で、自分は酒ももらったし、あんたも修理してもらえるんだから、万々歳だろ!?みんな幸せ、幸せさ。って言いたいんだでしょうがね。

別の時は、
これは、まだ、携帯が出始めの頃だった。
旦那の車は大通りを走っていた。ところが横道から、年配の女性の車が突っ込んできて、彼女の車の横腹に旦那の車がガチャン。
相手は横っ腹、だいぶ痛みましたようで、旦那の車は、バンバだから、負傷なし。

さっそく、話し合い。
旦那は、「うちは悪くない、そっちが一時停止するのが当然だ。」と言ったが、相手は、承知しない。
旦那、まあまあ、お金のあるだろう階級のおばちゃんだから、「あなたの車、保険に入っているんだろう、まず、保険会社に電話したら?」
「うちはうちの保険会社に電話するから」と、旦那、携帯をだして、自分の保険会社に電話する。
すると、おばちゃん、「携帯かして!」
うちの旦那、「やだよ! あなたは公衆電話から電話したら?」
おばちゃん、公衆電話をかけにいきました。

そしたら、そのまわりで見ていた野次馬達、言いましたと。
「あんたが悪いわけじゃあないんだから、何をそこで待ってるの? さっさと逃げなさいよ!」
旦那 「それも、そうだな。こんなところで、自分が悪くもないのに、時間つぶしてる事ないじゃん。」ってんで、さっさと、その場をバイバイして来たと。

兎に角、事故したら、事故にあったら、自分で解決しなければいけないのです。

メキシコの街で、人身事故にあっても、加害者は、逃げる、逃げるですから、兎に角、車には注意してメキシコの街を歩いてくださいね。

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97.日本語時代遅れ07/05/31

日本を長く離れていると、浦島太郎や花子になるというのは,確実にある。
言葉も流行りや話し言葉と言うのは,どんどん変わっていくのだろう。

先日は、観光のお客様にショックな事を言われた。
「30年近くも,メキシコにいるのですか。じゃあ、言葉も話し方も昔風ですね。」
「はあ?」
「大丈夫。変だったら、直してあげますよ!」
「はい、よろしく、お願いします。」

確かに、若い人が彼らの間で話す話し方には、きっと分からない事が多いと思う。彼らは、多分自分達の仲間言葉で話すだろうから。

でも、いわゆる標準語というやつも、どんどん変わっているのだろうか?
ある考古学の講演会で、講演者が、王家の家系を説明していた時、未亡人と言う言葉を使ったら、聴衆の一人の人が、「未亡人という言葉は、今 日本では、蔑視語です。使ってはいけない言葉です。」と発言した。
私なんぞは、「はあ?」である。

日本では、言葉に対して、やたらと 理屈ぽくなっているのではない?
じゃあ、これは何というのか?
夫を亡くした夫人、夫に先だたれた夫人とでも言うのか?
う〜ん、面倒だ!
未亡人という言葉は、昔は普通に使い、誰も蔑視語だと思った事はないはず

あるところで私が書いた文章で、何々が大好きな人の意味で、何々キチガイと書いた。
普通、気軽に言うと思うけど、これは、書いてはいけない言葉らしい。直された。

日本は、蔑視語だ、差別語だ!とカリカリし過ぎているのではないだろうか?
この言葉は、差別語だ、蔑視語だ!と、変なところに気を使う事より、実際の世の中の差 別に、蔑視のほうに、もっと気を使ってもらいたいものである。

また、今日はお客様と「メキシコへ旅行しようと思ったので、スペイン語の勉強を始めたけど、この年では、全然覚えられません。」なんて、話しになったんで、
「10個覚えたと思っても、9個忘れて、それでも、1個残ってればいいって事ですよ。
私なんか、30年近くもメキシコにいて、スペイン語の進歩は、まったくなし、娘にバカにされながら、それでも、いざっとなれば、グラシアスとポル ファボールで全てを解決しようって魂胆でいますよ。」って、言ったら、

「ポル ファボールねえ、それって、日本語の『どうも』かな?
今の若い人は、全て『どうも、どうも』しか言わないと言うのがあるんですよ。」とおっしゃった。
電話に出て、「どうも」、人と会って「どうも」、買い物して「どうも」。
別れる時も「どうも」。上司に怒られても「どうも」もちろん、誉められた時も「どうも」って事でしょうけど。

「ポル ファボール」は「お願いします」であって、「どうも」とはちょっと違うと思うが。

日本語も、変化しているらしいけれど、その変化は豊かに変化じゃあなくって貧しく変化かなあ?やっぱり?

ホテルに着いて、私が車のドアを開けて待っていたら、お客様、車を降りながら「どうも」とおっしゃって、「あら!私も つい使ってしまうねえ。あはははは....」
「本当ですね、どうも....」

ほんとに、『どうも』って便利な言葉のようですねえ。

私が年をとって、その上アルツハイマーなんかになっていて、日本に里帰りしても、『どうも』だけ忘れなければ、何とかなりそうだ、こりゃあ。

「あら、こんにちは。お久しぶりですねえ」
「どうも」
「お元気ですか?」
「どうもです」
「これ、メキシコへのお土産です。どうぞ。」
「どうも どうも」
「いつまでも、長生きしてくださいね」
「はい、どうも」
「また、日本へ来てくださいね」
「どうも、どうも。」
「じゃあ、さようなら」
「どうも」

なあ〜んてね。

日本語時代遅れでも、心配しなくていいかな?

今「時代遅れ」って書いて、心配になった。
「時代遅れ」って言葉も時代遅れなのかな?



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98.異国で死ぬと言う事の意味07/06/05

ある知り合いの人が、亡くなったと聞いた。
彼女が仕事を止めてから、まったく会っていなくってどうしているかも知らなかった。
独身で、ずーとメキシコに暮らし、そしてメキシコで亡くなったと。
末期ガンだと知ったのが、半年前で、日本に帰国しようとも考えたが、彼女が兄弟の中で、一番下で、本人が67歳だけど、生きてるお姉さんなどもいるが、もう、80歳代で、もう、姉妹といえども、病気の彼女の看護をしてあげられると言う状況でもないから、帰っても、仕方ないと諦めたと。

そう、永く外国で生活してしまうと、日本に帰る所もなくなる。
特に親がいなくなってしまうと、その事をひしひしと感じる。
もちろん、兄弟や親戚はいるが、やはり、数日の滞在は兎も角、永くお邪魔という訳にはいかない。
そうして、日本は、帰るところでなく、訪ねるところでしかなくなるのだろう。
ちょっと、寂しいが、我々、外国に永く暮らす者の現実だ。

友人も、少なかった彼女、彼女のマンションに下宿していた女性に、マンションの財産を譲るという約束で、最後の面倒を見てもらったと。

生前に友人の勧めで、葬儀保険に入っていて、それで、全ての葬式、火葬などをしてくれたと。
お骨はどうしたのか聞かなかったけれど、日本の親戚に、持って行ってもらったと言う事でもないようだ。
年老いたお姉さんなどはメキシコまで、葬式に来たいう風でもなかった、知り合いの友人が、遺品も、捨ててくれと言われているから、処分しなければと言っていた。

こうして、全てが消えて、無になるのだろう。
一人の人間がここに生きたと言う証拠さえなくなるのかも?

死というのは、全てが無になるという事。
異国で死ぬ、いつかは自分も。

一人の人生。
散々、バタバタし続けても、少々は、自分なりに頑張ったと思っても、最後は、わずかな灰になるのみ。地球のわずかなゴミ?土?
もし、誰かの思い出の中に、ちょっとでも、残ったら、良し。それでも、それも、何年か経ったら、まったくないだろう。

私も、死んだら、灰は海に捨ててくれるように、遺言をしておこうかなと思った今日。
全て、無なら、海の水に溶かしてもらって消えるのも、いいかもと。

公害になるって?


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99.これは映画ではない、現実だ。07/06/25

MIXI友達の元夫が死んだと、友達がMIXIに書いた。
友達は、まだ、会った事はないけれど、いつも、私のブログにもコメントを書いてくれていたし、彼女の日記には彼女らしさいっぱいで、 とってもその人柄が知れて、好感度いっぱいの友達なのだ。

彼は、メキシコ空軍のパイロットの仕事をしていたそうだ。麻薬取締りなどで今危険がいっぱいの仕事だったらしい。

そう、今、軍隊の人、警察の人に始まって、多くの人が、麻薬戦争の戦場と言う中で殺されているニュースが、毎日毎日。
毎日、死人が出ているのは、毎日のニュースで知っていて、それでも、あまりにも日常茶飯事になっていて、 またか、またかという気持ちであった。

まるで、イラクで毎日市民の犠牲者が出ているのに、世界中の人が、きっと思っているまたか、 今日もか、と言う気持ちと同じように。

それは、大変な事と分かっていても、やっぱり、他人の対岸の火事の出来事であるのだ。

だが、身近な知り合いの人の家族が、実際にそのように殺されたと聞くと、なんか、ショックと同時に これは現実なんだ、映画ではない。
日々毎日、起こっている現実なんだと改めて知った気がする。

毎日、今、友達とそのお子さん達が感じている事を、イラクでも、メキシコでも、その犠牲者の家族が感じているのだと、改めて思う。

友達、別れた夫と言っても、子供たちにとっては父親であるから、子供たちのショックを支えていかなければならないし、 経済的にも、これから、友達にとって、大変になるという事で、友達、人生で何度目かの大変な時なんだろうと思う。

そう、何が起こっても、人間、生きてゆかなければならない。
人生って、本当に大変だ。

そして、そう、イラク戦争は終わっていないし、メキシコは麻薬戦争の真っ只中だ。

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100.窓の外に風景はない07/06/26

 都会に暮らすという事は、窓の外を眺めるいう、窓から外の風景を眺めるという楽しみがない。
高い高級マンションにでも住めば別の話だが。

日本の昔の家やお寺など、縁側は外に開かれた場所であり、そこから外を眺める、庭を楽しむという場所であった気がする。
また、縁側は、他所の人が来た時、部屋の中まで通さなくっても、そこで接待できる場所であったと思う。
家の中でも外に開かれた場所という。

今の新しい家に昔の縁側というものはない気がする。
(長く外国暮らしだから、今の日本の家がどういう造りなのか、よく分かっていないが。)

そしてその庭の向こうには借景として、何々山があるとか?

縁側に座って、外を眺めながら、お茶をいただく。なんとゆったりした楽しさだろう。
なんか、昔を思うおばあちゃんになった気がする。

ところで、都会の家はアパートの窓は何のためにあるのだろうか?
それは外の光を入れるというだけのものかも?
建物と建物の密接したメキシコシティーの都会の窓を開けても、排気ガスの汚れた空気しか入ってこない?
美味しい、爽やかな空気が入ってくるというのも、まあ、望めない。

娘のアパートは、メキシコシティーの中心部にある。そこへ行くと窓のカーテンは引かれぱなし。
窓の外を見ても、見えるものは隣の建物の壁と僅かな視界の向こうに駐車場の車くらい。
建物と建物に挟まれた建物の二階のアパート。

カーテンを開けておいたら、隣から覗かれるのが関の山。
窓の外に風景はない。

庭 我が家はそれでも、メキシコシティーでも辺地にあるためもあって、窓から我が家の小さな庭とその向こうの隣の家の屋根がみえる、
そして、その向こうには山が迫ってみえる。

処が、我が家の片側の隣は私達が住み始めた時から、ずーと、最近まで、空き地であった。
空き地ではあっても、メキシコの事、高い塀に囲まれ人でも野良犬でも侵入できない空き地であった。

そこに、最近建売の家がいくつも建てられ販売が始まった。
買うつもりも金もないが、どの位で売られているのが、ちょっと興味で聞いてみた。
日本円にして、4000万円以上だぜ!
このメキシコのソナ ポプラール(平民地区)で! それって、すごい!
どんな金持ちが、このソナ ポプラールに住むんかい?
確かに、敷地への入り口は頑丈なドアが付、門番が24時間警備らしい。
メキシコのちょっとした住居やマンションには必ず警備員を常置させるのがメキシコの常識だ。

毎日毎日、家造りの作業が我が家の窓から見えた。
ほとんど家ができたようだ。
そして、敷地の周りを囲む高い塀のまたその上に防犯用の高い丈夫な金網が付けられ、 またその上は、とぎとぎの付いた泥棒進入不可能ぐるぐる巻き鉄線が付いた。
金網 そして、されに、網に視界遮断緑ビニールテープがばっちり貼り付けられた。

我が家とお隣の敷地の囲いの上には、ぐるぐる巻き鉄線は付かなかったが、川側のその向こうはなんせ、 不法侵入住居地区故、泥棒、いやリスさえ入れない進入不可能ぐるぐる巻き鉄線がばっち付いている。

そして、今まで、我が家の窓から、家造りの様子が、よく見えたが、今は、何階かの多分3階だと思うが、 その新しい家の屋根が少し見えるだけになった。
我が家の家の屋根の上に登ったら、結構見えるけど。

隣 まあ、いいかあ。お隣に、いや、お互いに覗かれなくっていいかも。

そう、都会の家は窓から外の風景はありません。

これを書きながら、今、思い出した。
外から完全に遮断された家を作ったのが、かの世界的に有名なメキシコの建築家 ルイス バラガンである。

彼の生前住んだ家は今博物館だが、世界遺産になっている。

そう、あの家は小さな入り口のドアに入るとまったく外から遮断された空間だけになるという家である。
外を眺める窓は、わずかの家の庭を眺める事ができる窓だけである。

そして、屋上の壁も高く、いっさいの他所の建物も街も視界に入らないような造りになっている。
この家の屋根の上から見えるのは、まさに真上の空だけという。

(実は、昔この家が造られた当時はまったく空以外、他の建物など、本当に一切見えないようになっていたが、 今は現実には高い高いビルがどんどん建ったので、高いビルの何件か、それが見えてしまう。
博物館の人によると、壁をもっと高くしたのだが、それでも、また、もっと高いビルが建つので、 もう、追いつかないとの事。
バラガンさんも、きっと、あの世でメキシコシティーの都市化を嘆いていることでしょう。)

バラガン邸は、まさに、都会の中で外をまったく遮断した空間の家造りだった。

言ってみれば、都会向きの家であると言えるかもしれない。
そうだよね。隣の建物の壁だけ見てもしょうがないし。

ところで、また思い出した。
メキシコシティーの高いビルの壁、窓、一面にビニールの垂れ幕広告が最近いっぱいある。
窓を塞いでのあの広告、よく文句がでないねえ。
低い建物の窓からは、隣の壁しか見えなくっても、高いビルの高い階だったら、大都会メキシコシティーが一望に見えるはず。
窓の外に、大都会メキシコシティーの風景があるはずなのに。
故意に遮断されて、よく文句言わないねえ。
皆もう、都会からの窓の外に風景はないって思ってるのかな?

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