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62.高い塀の中03/05/17
悪い事をした人が警察に捕まって、高い塀の中に入れられるというのが、社会の掟である。 だが、そうとばかりは、言えないのかもしれない。日本は、あまり、貧富の差がなく、あまりにもの大金持ちもいない代わりに、あまりにもの貧乏人もいないから、治安も他の国々に比べて、大変良いといえる。 (ただ、最近は、いろんな事件はあるようであるが)
だが、あまりにも貧富の差が激しい国、また、場所では、金欲しいのは誰も何処でも同じだが、一部の人は 金や物を持ってる人から、非情な手段を使っても取ろうとする人も、結構、多い。
そこで、少しは持ってる人も、防衛しようとし、特に、たくさん持っている人は、その分、その防衛もがっちりとお金をかけてする事になる。
そこで、自らを高い頑丈な塀の中に入れる事になる。警察に捕まって塀の中に入る人との違いは、もちろん出入りは本人は自由にできるのであり、他の人が入らないための塀であるのだが。家が高い塀に囲まれていると言うだけでなく、場所によっては、豊かな人々が住むその地区全体が広い広い囲いの中で、その入口は門番が24時間しっかり見張っていて、全ての人をチェックする。本当に野良犬一匹、入れない、鼠一匹、入れない。
塀の中にはいると、もちろん野良犬一匹いないねえ。ゴミ一つ落ちていない。別世界である。そこはメキシコの町を歩いたら、何処にでもいて、小銭を求めている人々も、もちろんいない。そこは、私の知っているメキシコではない。別の世界だ。
その高い塀の外は、泥棒もいるし、スリもいる。物貰いもいるし、ホームレスの子供達もいる。野良犬も、我が物顔に歩いている。時には強盗もいる。雑記メニューへ
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63.もったいない、もったいない病 03/05/24
日本経済も、今は、ちょっと停滞気味のようだが、少し前までは、豊かな国日本で、皆ホクホクして、お金も使え!使え!、物も使い捨ての時代。
そして、私の子供の頃の事を考えたら、みんな、何もかも、贅沢になったと思う。
もちろん、人にもよるし、その人の懐具合にも寄るけれど。
そして、今、不景気で、景気が回復するのには、物がよく売れるためにも、物を使い捨てにしなければという理論も成り立つのかもしれない。
実際、たとえば、電化製品などでも、少し、調子が悪いくらいでも、直して 使おうと思っても、もう、数年前の製品は、製造していませんから、部品もないし、直せません、最新のものを買ったほうがお得で、いいですよと勧められてしまう。
日本では、直すより、新しいものを買うのが、当たり前だ。車など、私は日本へ帰ると、「えっ、これ、廃車にするの、まだ動くのに、もったいない!、欲しいなあ」っと、なんど、思ったことか。
日本では、古くなった物は捨てて、新しい物を買った方がお得というの常識。
メキシコでは、古い古い車も、直し直し使う人がたくさんいる。ただ、最近、我が家の10年以上使った、電子レンジが壊れ、直しに電気修理屋に持っていったけど、なかなか、直らない。電気修理屋は、部品がなかなか、手に入らないから、あと、1週間待ってくれ! 次の週いくと、また、あと一週間と言われつづけ、もう、いったい何週間になるのか?
やはり、メキシコも、もう、直して使う時代は終わったのか?
娘も、最近、CDプレイヤーが壊れて、直してもらおうと、持っていったところ、直し代金が新品を買う値段の約3分の2。やっぱり、新しいのを買った方がいいかあ?と直す事を諦めた。日本では、衣服でも流行遅れのものは、すたれた物は着られないというのが、当たり前。
ドンドン、新しいのを買う。毎年、新しいのを買うというのが、常識だ。特に若い人はそうだと思う。まあ、日本でも、時々は、私の年齢より上の人達の中には、いるかもしれない。もったいない、もったいない病の人が。物が捨てられない、もったいない、もったいない病患者が。
私の知人のお子さんは、ジャイカの留学生として、日本で勉強している。そのお子さんは、お母さんは日本人でも、メキシコで生まれ育ったメキシコ人。日本の同年齢の使い捨て時代の申し子達とは、やはり、違う。
彼女は、寮で出される朝食の量が多くて、食べきれないが、捨てられなくって、お弁当にして、学校でお昼に食べると言うのだ。
私の知人であるお母さんは、心配して、「日本でそんな事して、皆に変に見られないかしら?」私は彼女に言いました。「あなたは娘さんの事、誇りに思わなくちゃあ。偉い!って、誉めてあげなくちゃあ」
もちろん、物を大切にする事もだが、人の目を気にしないで、自分が正しいと思う事を、当たり前にするって事も。別の知人の話し。彼女の日本のお母さんも、やはり、もったいない、もったいない病らしい。
彼女のお母さん、生活には全く困らない。家賃収入はあるし、年金はあるし。でも、お金を使う事を知らないし、また、使おうとも、思わないから、お金は、どんどん貯まるばかり。それで、一人娘である知人が、日本に帰るたびに、子供の学費に金が、たっぷり必要だってんで、お母さんから、いただいてくるのだそうだが。
彼女のお母さんは、お金はあるのだが、もったいない、もったいない病だから、東京の交通費は、お年寄りにはタダだから、それに乗って、何処何処でタダのナニナニがあるから、行って来るわーと、それで、満足し、生活楽しんでいると。
しかし、彼女は、もったいない、もったいない病かもしれないけれど、ケチではない。娘や孫が日本に来ると、ボンボンお金を出してくれるのだから。
知人は、「これって、性分なんだねえ。いくら言っても直らないよ。」そう言う知人も、私と同世代のもったいない、もったいない病患者らしいけれど。娘が私に言う「お母さん、古い時代遅れの服、みっともないから、捨てなさいよ!」娘は流行遅れとは言わない。時代遅れというのだ。それは本当だと私も思う。
メキシコは、お金の沢山ある家庭の子供は、話しは別だが、一般に流行を追う事の出来る人は多くないから、流行はあってないも同然で、人々は皆、自分の好みで服を着るのだ。
だから、私がメキシコで、時代物の洋服を着ていようが、誰の注目も集めない。
私はもったいない、もったいない病で、10年前の、20年前の洋服を着ていても、平気なのだ
昔の日本のように、年齢で、衣服の色が決められ、つまり、その年齢には派手だとか、地味だとか。まあ、日本では、まだまだそう言う人があるかもしれないけれど。
ここは、メキシコ。お年寄りになったら、赤い洋服は駄目ということはないわけで、メキシコは特に、カラフルがお好きな国だから、派手な服ほど、素敵だねえと言われる。
だから、わたしは、昔からの服を平気で着ているのだが、娘の目からみたら、野暮ったい時代物ということになるのだ。
私は、「これって、まだ充分着られるし、もったいないよー。何も捨てる事ないじゃん。」と思っているのである。私も、もったいない、もったいない病患者であるらしい。雑記メニューへ
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64.SARSの影響03/05/25
今、SARSは大変。その影響は世界経済をも脅かすかもしれない。一日も早く収まってほしい。
メキシコは、幸い、病人が出たという事は、今のとこないようであるが、ニュースは、やはり、人々に病気に対して、恐怖であるようだ。これは、友達の話。
友達がルチャ リブレ ツアーで、ルチャ リブレを見終わて、お客さんを集めるのに、会場の入り口に立ていたところ、ルチャ リブレ観覧のメキシコ人家族、お父さんと子供達。
友人をみて、お父さんが、子供達に「近づかないで!近づかないで!」と、恐ろしいものから、子供達を守るように、友人を避けて行こうをしたと。
友人は、それに対し、お父さんにわざわざ近づいて「私はメキシコに住んでいる日本人で、病気じゃないし、大丈夫、大丈夫だ。」 と、ニコニコ笑って言ったけど、それでも、完全に、無視され、恐ろしい物には近づいて欲しくないという態度見え見えだったと。中国人、日本人、アジア人、誰が誰だかわかりゃしない、それらしい人には近づかないにこした事はない。誰が病気かわかりゃしない。と言う事なのだろう。
SARSのニュースはは世界の人々を恐怖におとして入れているのかもしれない。
病気の発生していないメキシコでも、こんな反応をする人もいるのだ。メキシコでは、こんな話しを聞いても、笑って済ますこともできるが、 病気が猛威を振るっている地では本当に、人々の恐怖はどんなに大変かと想像する。一日も、早く、病気が収まってほしい。なにか、ここ何年か、狂牛病とか、恐ろしいいろんな新しい病気が、次々起こって、それは、奢った人間への警告なのかもしれないと思えてくるのは、私だけだろうか?
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65.イメージ、レッテル03/05/27
友人に誘われて、ある会に出席した。主催者が、どう言う団体?会社?なのかよく分からなかったけれど、目的が、メキシコに住む外国人に話しを聞いて、外国人から見たメキシコを知りたいという事だそうだ。
出席者は、友人と日本大使館から頼まれてきたというジャイカの方2人の日本人4名と主催者。日本人の方たち、私を除いて、みんな、スペイン語が堪能で、しっかりしたお話しをしていた。(私はもっぱら聞くしか能がなくって、恥かしい)
まあ、日本人からみたメキシコがいろいろ語られた。その中で、一般に、日本人がもっているメキシコというイメージは何か?
はやり、サボテン、太陽の国、マリアッチ、ソンブレロ、コロナビール そして、アメリカ映画の善なるアメリカ人に対する悪いメキシコ人のイメージect.って事になったが、 これは、一般のメキシコ人だって、日本のイメージといわれれば、良いイメージは性能な機械製品、テレビ、車、カメラ等となるけれど、また、サムライ、ハラキリ、カミカゼとかなるのだから。大差ないのかもしれないが。そして、主催者が言うに、そのメキシコのイメージと同時に、今までに付けられたメキシコのあまり嬉しくないレッテルは剥がし、新しい良いレッテルを付けるとしたら、何がよいだろうか?という質問には、皆が、「えっ、難しい質問!」と、 誰からも、良い答えもアイディアも出てこなかった。
素晴らしい実績があって、そこにレッテルが貼られる。その時、世界の人々は、そのレッテルを信用してくれるのであって、どんなに素敵なコピーや宣伝を、世界に向けてしたとしても、どんなに素敵なレッテルを貼りつけたとしても、商品が良いものでなかったら、 誰も買ってはくれない。
帰りの車の中で友人とレッテル考える前に、「実績!実績!」と言うべきだったねえという話しになった。
メキシコは、皆の話しでもされたが、素晴らしい芸術感覚、個性、創造力を持った人が多い、また、人々は暖かくホスピタリティのある国民性である。ちょっといい加減?アバウト?ではあるが。 日本人と違うけれど、それも、見方をかえれば、メキシコ人の、メキシコの魅力であると思う。
そんな、メキシコの、メキシコ人の特性が生かされ、今のメキシコの悪い面が修正され、いろんな意味で、 素晴らしい国になったら、メキシコの新しい素敵なレッテルが貼られるだろうが、そんな日は、いつやって来るのか?
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66.国民番号、そして、情報盗難 03/05/30
今のコンピューター時代、膨大な情報の収集、整理、取得は、昔の事を考えたら、アッと言う間にできてしまうという便利な時代になったものである。 だが、ときには、困った事と思うこともあるのではないだろうか?メキシコ国民には一応(一応というにはもれている人も多いということもあるだろうから)国民番号というべきか、一人一人の番号というのがある。 これは、パスポートはもちろん、投票身分証明カード、運転免許証、銀行の口座、小切手、税金支払い用カード、あらゆる書類に表されている。
番号は、父親の姓のイニシャル二字、母親の姓のイニシャル一字、名前のイニシャル一字、生年月日六数字、その後、数文字これはどこで決まるのか、知らないが。 同姓同名、同じ生年月日の人がいる可能性もあるから、おまけか?兎に角、このCURP、国民登録番号と言うやつを政府のコンピューターに入力したら、その人の個人情報が、パッと表示されるのであろう。
私も、メキシコ永住権があるから、これがある。私の場合、日本のパスポートの他に、移民カードが身分証明になる。この個人番号を、政府のコンピューターに打ち込むと、私の個人情報は全て一瞬のうちに出てくるのだ。 指紋も登録されているから、これも。メキシコで最も、身分証明に使われるのが投票身分証明カードだが、最近この情報が盗まれ、売られ、最終的に、アメリカ政府に買われていたというのが、発覚した。
これって、恐ろしいことではないだろうか?今のコンピューターの進歩はものすごい的確さで、ものすごい情報量を簡単に収集できる素晴らしいものであるが、 また、膨大な情報が、簡単に数枚のCDで盗まれてしまう可能性もあるのである。
気をつけなければと思うが、どう対策したらよいのか?
世の中、盗みをしない良い人ばかりではないのだ、また、アメリカ政府のように、盗まれたものと分かっていて、買うやつもいるのだ。雑記メニューへ
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67.消えてしまったシーシー03/06/15
世の中には、科学、文明の進歩の中で、消えて行く、消えてしまった、良いもの素晴らしいものがたくさんあるのではないだらろうか。
一度、消えてしまったものは、永遠に再び、姿をあらわさない。そして、人々からも、完全に忘れ去られて行くのであろう。姑や、メキシコ人のあるおじいさんの話し。
昔は、シーシーというものがあったそうな。
それは、今の化学洗剤なんかに比べ物にならない、素晴らしい、優れものの洗剤兼スッポンジといったところの物。
これで、昔、化学洗剤の現れる以前の昔、全ての物を洗い、掃除したそうだ。
大切なセーターなど、これで洗ったら、本当に、全くセーターを痛めることなく、ふわふわにきれいに洗えた。下着なども、漂白剤を使わなくても、真っ白、しかも、パンツのゴムが駄目になる事もない。
板床などの掃除でも、このシーシーで磨くと、それは、木が再生された様にきれいになり、ピカピカになるとの事。
シーシーは姑が15才〜18才くらいの頃まで、あったという。市場に必ず、売っていたという。
だが、化学洗剤、化学漂白剤が現れたとたんに、姿を消していったようだ。シーシーとは、マゲイ、龍舌蘭のまだ成長しきらない若い龍舌蘭、アグアミエルというプルケのお酒の元になる龍舌蘭の樹液が取れる前の龍舌蘭の繊維との事。
消えてしまったシーシー。たぶん、シーシーは先スペイン期の先住民の洗剤だったのであろう、その後、植民地から独立した後のメキシコでも使われていたのであろう。そして、姑の若かりし頃まで、科学洗剤が現れるまで、 メキシコの人々に使われた自然の石鹸だったのである。エコロジーな自然の石鹸は、便利な強力な化学洗剤に敗れ、市場から消えていった。そして、人々の記憶からも、忘れられていった。 姑などの年齢の人々がいなくなったら、その思い出からも、永遠になくなる。
そして、市場を勝ち取った化学洗剤は地球に残留し、地球の水を汚し続けて行く。話しは変わるが、メキシコは世界一のコカコーラの消費国だそうだ。
アメリカの象徴コカコーラは、今世界のいたる所にその市場を広め、どこへいっても、あのコカコーラに出遭えるのであろうと思う。
メキシコにおいても、冷蔵庫などもなく、近代文明とはほど遠い 田舎のここがメキシコという国に属している事も、知っているかいないか、いや、関係ないと思って生活をしている人々の村に行っても、あのコカコーラの看板がある。その昔は、人々は豊かなフルーツ水を(オレンジ、レモン、マンゴ、メロン、パパイヤ、スイカ、サボテンのフルーツ、バナナ、パイナップルなどなど、家の庭で手を伸ばしさえすればあるフルーツ。メキシコは本当に一年中美味しいフルーツが豊かにある国なのに) 各家庭で作って、飲んでいたと思う。もちろん今でもフルーツ水も飲まれているが、それ以上に人々は、たくさんのコカコーラをはじめとする炭酸飲料水を買って飲む。
訪問者があったら、フルーツ水よりコカコーラのほうが馳走と心得ているかのように、コカコーラを出してくれる。
メキシコ人の中には時々、完全にコカコーラ中毒と思う人も多く見かける。メキシコの町で、赤ちゃんを抱いて、物乞いをしている女性さえ、赤ちゃんにミルクではなく、コカコーラを飲ませているのを見かけたりする。
確かに、ミルクとコカコーラはたいして、値段の差がない。
確かに、ミルクは、一日炎天下に置いておいたら、腐る。
確かに、炭酸の入ったコカコーラを飲んだら、その時はお腹がいっぱいになる。
そして、確かに、コカコーラは中毒になる。私は決して、コカコーラに恨みを持っている訳ではないが、コカコーラナイズした現実のメキシコをこれでいいのかって思い、 アメリカナイズしたメキシコを、これでいいのかと思い、コカコーラを飲む栄養失調の赤ちゃんにメキシコをみる思いがし、過去の素晴らしい消えてしまったシーシーを、悲しく、想っているのである。
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68.大統領お奨めのchangarroとは?!03/08/21
世界の、日本の、メキシコの経済は少しもよくなっているように見えない。苦しい時代のようだ。
メキシコ市の町は、ますます、日増しに物売り、大道芸人、物乞いの人々が増えているように思う。
政府発表の失業率も何ヶ月か前の2.7%から3.5%と上がった。(誰も信じない数字であるが)そして、大統領の発言。
大統領は(政府は経済を回復させて、皆に仕事を与えるということができないから、政府に期待しないで) 自分で考えて、自分で商売をしなさい。とchangarroの勧め発言。
「貧乏への入口は広く、そこから、抜け出す出口は狭い。」「自分で商売考えてしなさい!」と。
大統領ははじめは”changarro”と言ったが、マスコミに叩かれて、次からはchangarroという言葉は使わなかったが。autoempleo(自分で自分を雇う事)だそうだ。
changarroと言う言葉はあまり上品な言葉ではないのである。
”changarro”の意味。ダンナの説明によると、あまり重要でない家族的または個人的な小さな商売との事。
じゃあ物売りも認められた訳か?と聞くと、いや、changarroの意味からすると、屋台のように、一応、一つの場所を動かない場合は、入るが、 チューインガムなどを道や地下鉄の中で売るのはchangarroにならないとの事。
じゃあ、道の歩道や、地下鉄などの入り口の屋台は、政府も認めたと言う事か?政府は長期的にこれからも、経済が回復する見込みがない事を認めて、”貧乏人よ、失業者よ、自分で何とかしろ!おれは、お前等の面倒を見切れないんだ”と言っているようだ。
まあ、もっとも、貧乏人も、一般国民も、もともとから、あまり、期待はしていないようで、大統領のchangarro発言があっても「ふん、俺らは、もともと、changarroやってんだよ。今更、何言ってんだよ。」っと言ったところだろう。道で商売やっている人達は、大統領のお勧めなんだから、今までのように、時々警察にいじめられることが、なくなるかしら??
だが、物売りのマフィアがあるんだから、新しくchagarroを道で始めようと思う人がいたとしても、これが、結構難しいらしい。道のchangarroで儲けているのはマフィアの親分さんだけなんだろうから。それに彼等は、税金払っていないし。今、町の物売りや、changarro商売の屋台で売られているのは、外国製品、ほとんどが密輸入品、海賊版のCD、DVD。模造品、盗難品etc. 自分で何か物を作るというchangarroがない。
changarroでなくとも、メキシコの中小企業は自由貿易という、グロバーリゼイションという、時代の敗者となって外国の大企業に吸収されていった。世界は今や、何処へ行っても、同じ物しかないという、同一化がすすんでいるのかもしれない。
地方色というものもなくなって、その土地の特色、その国の特色がなくなっていく。
世界何処の国へ行っても、同じ大チェーン店のスーパー、デパート、レストランばかり。世界何処の国に行っても、世界の大企業が作り出した同じ食べ物を食べ、同じ衣服を着る人々しかいなくなるのかも?メキシコ人のchangarro商売の人々は、この大スーパー、大デパート、大チェーンレストランに対抗しなければならない。それには、安い!!しかないのである。
偽物でも安く、海賊版でも安く、密輸品でも、安く、盗難品でも安く、お腹をこわしそうでも安くの商売が多いのだ。
そして、町には、何か物を作るという人より、もっとも簡単に、少しのお金で、物を仕入、僅かな利益を取って、物を売りたい人ばかり溢れている。
これで、経済が回復するのだろか?何処にも出口のない迷路に入りこんでいる気がするのは、私だけ?まさかとは思うが、もし、大統領が、changarroと言っても、今はやりの、新しいアイディアをもって、ベンチャー産業を興す事を、仕事のない失業者や、貧乏人に期待しているとしたら?!「大統領殿、あなたは物が見えない目明きですか?」
多くの仕事のない貧しい人々は、教育もなく、ただ、彼らが考えるchangarroは一箱のチューインガムを買って売ることとか、数十個のトウモロコシを買って、茹でて唐辛子をかけて、売ることとか。 そのチューインガムや、トウモロコシを買うお金もなかったら、下手な歌でも歌って、お涙ちょうだいで物乞いするしかないのだ。雑記メニューへ
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69.娘が言う。「キューバ人って可哀想」03/09/17
娘が一週間、キューバのハバナへ行って、帰ってきて、しばらく、口癖のように言った。「キューバ人って可哀想。」
娘は去年仕事でハバナへ行って、今回はもっとキューバを知りたいと思ったのかどうか?一週間個人旅行でキューバ観光というより、ハバナでぶらぶらしていただけのようだが、行って帰ってきた。
去年、仕事で知り合いになったキューバ人ガイドと友達になり、色々話を聞いたり、案内などしてもらったらしく、一週間のキューバ事情通になったか??
そして、「キューバ人って、可哀想。」発言である。メキシコ人だって、可哀想な人、貧乏な人は多いと思うが.....娘は、けっこうキューバが好きになったようであるが、私は、もう5〜6年前にやはり、仕事で行った時、あまり、良い印象を持てなかった。
私がキューバに行った時、たまたま、国際会議があって、予約してあった高級ホテルに入れなく、二流のランクのホテルに入れられたと言う運の悪さが第一印象を悪くしたというのもあったかもしれない。
ホテルなどの従業員など、メキシコ人に比べて、愛想がない(メキシコ人の場合、愛想だけは良いけど...ってのもあるが...) お役人仕事的。クレームいっても、形式的に謝るけど、少しも改めようとしてない。etc。
ホテルが二流ホテルというのがあったどうか知らないけれど、キューバ人の女性がホテル内に入ってきて、外国人のお客さんを捉まえては、物をせびる。(これは物がない、買えないキューバ人にとって、生活のためであるが。)
私も、ロビーで話しかけられ、始めは、雑談風に話していたが、最後は、何でもいいから、欲しい、くれ!」と言われた。「ホテルの石鹸でも良い。」と。
だが、このキューバ人の女性達は、このホテルでは、外国人の男性が一人でいると、売春まがいらしきをやっているらしかった。プールサイドでそれらしきを見た。だが、ホテルの従業員は見て見ぬふり。まあ、キューバもまた、賄賂の国らしい。
これは、私の見たキューバ。うちのダンナの話。
うちのダンナ、間抜けな、すぐ騙される観光客をやったのだ。
去年、娘がキューバへ行った時、じゃあってんで、娘と数日ずれて、キューバ、ハバナ旅行に行った。
まず、メキシコの空港のキューバ航空のカウンターで、チェックインするのに並んでいると、メキシコ在住のキューバ人に話しかけれらた、「キューバの家族に持って行って欲しい。家族は物がなくて、困っているから。」と物を事付けられた。
私は、海外旅行で、知らない人から、物を事づかる何て事は絶対しないというのが、常識だと思うが。
特に、中南米から、北の方向だったら、麻薬だってあるかもなのだ。人に親切にしたと思ったら、自分がひどい被害を受ける事になるかもしれないのだ。 今のテロテロ時代、爆発物だったら、どうするんだ。うちのダンナは、「そうか、そうか、キューバ人は物がなくって大変だろうなあ。」と引き受けたのだ。
うちのダンナ、カウンターに並んでいる人のなかで、特にバカのおひとよしに見えたんだろうと思う。
そして、その家族に頼まれた物を届けたところ、今度は、また、葉巻の箱を渡され、これをメキシコ在住のあのキューバ人に届けて欲しいと頼まれた。
彼ら(メキシコ在住のキューバ人とその家族)はこうして、バカそうな人の良さそうなメキシコ人の観光客を利用して、商売をしているというのが本当のところであったのだが。ダンナより早く帰ってきた娘が、頼まれた葉巻をメキシコ在住のそのキューバ人に届ける事になったのだか、このキューバ人に会って、娘は、「あんな常識のない(約束の時間を守らないで相当遅れてきた)、虫の好かないキューバ人に、何でお父さんは頼まれたりしたんだ!」とプンプン怒って帰ってきたが。
うちのダンナはどうも、何処か抜けてる。(この記事を書いているのは、ダンナには内緒である。でも、私はHPを訪ねて、読んでくれる人がうちのダンナのように騙されないためにも、あえて、書くのだ。いやいや、うちのダンナのような抜けた人はいないか?)
もうひとつ、うちのダンナはキューバで、90ドル、キューバ人に騙し取られたのである。被害が90ドルとまあ、少ないというか?90ドルで済んだのは、うちのダンナそれ以上お金を持っていなかったからである。 道を鼻歌の一つも歌いながら、歩いていたところ、やっぱり、キューバ人に話しかけられて、「ドルを両替してほしい。(外国人はキューバでドルをそのまま使えるので、本当は両替する必要がないのだが)自分達は○○労働組合なんだが、○○のためにドルが必要なのだが、自分達キューバ人はドルが自由に買えないので、レートよく替えるから..etc」
私は、呆れたけれど、うちのダンナ良く言えば、人がいい。本当の事を言えば抜けてるのだ。あまり書くと娘からも、クレームが出そう。メキシコも貧しい人は、本当に貧しい。キューバも貧しい。貧しさが人を騙してでも、悪い事をしてでも、売春をしてでも、食べていかなくちゃあ、になる。
カンクンで先週WTO会議が開かれた。メキシコ人だけでなく、他の国からも、多くの反対する人々がやはりデモストレーションをし、韓国人の農民のリーダーの人が抗議自殺をするという事まであった。
今、豊かな人(国)は、ますます豊かになるが、貧しい人(国)は、ますます貧しくなって行くという方向に向かっている。何処かがおかしい。何処かが間違っていないだろうか?キューバは社会主義(?)で、国民全員が高い教育を受けられ、メキシコなんかより、よほど教育レベルが高い。社会主義の理想が、そのまま現実になったら、素晴らしいものだと思うが、現実はそう行かないらしい。
カストロ自身は、フセインのような悪い人ではないが、一人が長い事政治をすると、やはり、独裁者になり、本人は国のため、キューバのためと思っていても、見えない事、本当の事が分からなくなってくる。
アメリカでも、キューバでも、形は違っても、人々を政治家がコントロールしようとしている。と思うのは、私だけ? 何処かおかしい?何処か間違っていないだろうか?雑記メニューへ
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70.若者達のvandalismo03/10/03
最近、街を歩いていて、特に感じるのは、街の汚さ。道路にゴミが落ちてるのは、メキシコでは昔からだった。
しかし、ここ、数年メキシコの街が汚いと感じるのは、家々や商店の壁、ドア、塀、至る所、モニュメントにいたるまで、全てペンキで汚す事が出来るすべての空白の場所に 無意味な悪戯書きがされている事。<
前は、メキシコの街に、これはあまりなかったと思う。5〜6年前、南米のブラジルに行った時、街が落書きで汚されていて、「なんだ、これは!汚いなあ。」と思った。 その頃、そう思ったのは、メキシコの街では、あんなに、落書きがなかったからだ。
だが、今のメキシコ市の街では、ちょっと下町、あまり金持ちでないコロニアルへ行ったら、それはそれは見事に汚く汚く、全ての壁が落書きされている。
しかも、自分の家のドアや、壁が落書きされてしまて、汚いから、きれいに色を塗り替えたら、とたんにやられる。メキシコは壁画の国で、紀元前一万年以上も前には、岩絵が洞穴(世界遺産があります)に、描かれ、また、古代文明のテオテオワカン、マヤにおいても、すばらしい壁画がたくさん 描かれた。
そして、メキシコ革命の後、メキシコの画家達は、壁画運動を起こし、人々に伝えるメッセージを壁画に描いた。
過去の人々は、他の人々に、そして、後の人々にまで、その伝えたいものを、すばらしい壁画として、描き残した。だが、今のメキシコの未来を担うべき若者達が壁にぬたくるのは、人々が迷惑するだろう、人々が困るだろうを目的とした、汚いだけの落書き。ペンキのお金まで使って。
若者達のvandalismoは、今の若者たちのすさんだ心のあらわれ?なのだろうか? 悲しい事!
昨日10月2日は、メキシコの68年事件、トラテロルコ事件の35周年日。
今年も、多くの人々が、悲しい出来事を忘れず、責任を追及し、解決を要求し、再び、同じ歴史が繰り返されない事を願って、デモンストレーションに参加した。だが、一方、多くの若者達は、これをチャンスとばかり、すごいvandalisumo行為をした。役所や商店や銀行の建物を破壊し、石を投げ、火をつけ、車を破壊し。
ニュースを見ながら、本当に、悲しかった。一人ではできなくっても、団体なら、平気でやれるという。もし、万が一にも、彼等が、一つの思想を持っていたとしても、他のものを破壊したり、他の人を傷つける行為は、許されない。
去年の10月2日の時もそうだったが、今年は、なお一層ひどかったようだ。この若者達のvandalismoの行為は、もちろん一部の若者達だけであるが、本当にどうなっているのだろう。若者達のモラル!常識!心は!
ただ、ただ、すさみ、荒れているのか?Copyright(c)2003 メキシコのおばちゃんAll rights reserved.